1週間ぶりの青空です。
以前から気になっていた展覧会に出かけることにしました。 みなさんは浮世絵に関心をお持ちですか? ぼくは前にも書きましたが大学生の頃から歌舞伎に興味を持ち始めました。 公演のプログラムに江戸時代の歌舞伎の様子を表した浮世絵が掲載されており、自然に浮世絵にも関心が生まれるようになりました。 色々な書籍を読み、また美術展に足を運んでいくうちに想像以上に奥が深い世界だということがわかってきました。 当時の浮き世絵は今でいうところのチラシのようなもので、芸術的な価値は認められていなかったようです。 陶磁器の輸出の際に割れないように品物を包んでいた紙が浮世絵でした。 海外では価値が認められていたので保存されましたが、日本では大半は破棄されあまり残っていません。 今回の江戸東京博物館の「大浮世絵」も大英博物館やシカゴ美術館等所蔵の絵が多く里帰りしています。 歌麿、写楽、北斎、広重などの作品が数多く展示されていますが、平日だったこともあり、あまり混雑せずゆっくり鑑賞できました。 ラッキーなことに、数年前長野県松本市の日本浮世絵博物館で見て一目で気に入った、広重の木曽海道六十九次の「大井」と再会できました。 この作品は雪の中を馬に乗って旅をする場面を描いたものですが、雪の日の妙にしんとした音ではない音が聞こえてくる絵です。 十分に楽しんで外に出ました。 もったいない位の晴天に誘われて両国界隈をぶらぶらすることに。 国技館の前を過ぎると、旧安田庭園があり無料(ここがポイント!)だったので入ってみました。 池を中心とした日本庭園で、和装の花嫁花婿さんが写真撮影をしていました。 その後駅の反対側にある回向院というお寺に行きました。 両国にあるお寺だけに相撲関係の石碑などがあり、奥に進むと意外な方のお墓が! 時代劇でおなじみの江戸時代の義賊鼠小僧次郎吉です。 墓石を削って持つと金運に恵まれるという言い伝えがあるらしく、おばさま達が前立の石を削っていました。 ぼくは一緒に削るのがちょっと恥ずかしかったので軍団が離れるまで待ち、その後削りました。 石の粉が手につく程度でしたがありがたくその粉を財布になすりつけました。 効果があったら後日ご報告いたします。 駅に戻ると隣にあった居酒屋が観光施設にリニューアルされていたので覗いてみることに。 真ん中に土俵があり、それを囲んでお店が数軒ならんでいて外国人観光客がたくさん買い物をしていました。 その中のお蕎麦屋さんで遅めのお昼を取り、総武線で昼寝しながら帰宅。 明後日沢井先生のお稽古があるので今から練習します。 久しぶりの更新です。
今日所用があり、浅草に行きました。 短時間で用が済み、また天気も良かったのでスカイツリー駅までさんぽがてら歩くことにしました。 普段なら旨いもの食べてそのまま帰宅するのですが、最近受けた健康診断で自分史上最も太っていることが判明、さらに腰回りにぷよぷよしたお肉がついてしまったので脂肪燃焼のため歩くことにしました。 吾妻橋を渡り、隅田公園に入りました。 ここは幼稚園生の時、時々親に連れてきてもらった場所です。 50数年ぶりに公園内を散策。 以前池の脇に茶店があって、そこでおでんを食べたことを思い出し探しましたが、無くなってました。 残念‼ 公園から少し外れた所にすみだ郷土文化資料館があり、「教育紙芝居の出発」という展示があったので100円出して見学。 そういえば子供のころ紙芝居屋のおじさんが毎日来て、10円で駄菓子を買って紙芝居を見たなぁなど思い出しました。 公園沿いに浮世絵によく描かれている三囲神社(みめぐりじんじゃ)があるのでお参りし、さらに歩を進めました。 言問団子ってご存じですか? 在原業平の和歌から名前をつけた老舗です。 そこの息子さんがぼくの小学校の先輩でたまに一緒に帰ってました。 はす向かいにはこれまた有名な長命寺のさくらもち。 どちらかに寄って食べたかったのですが、脂肪燃焼のために我慢。 スカイツリー駅まで街並みを見ながら歩きました。 このあたりはまだ古い家屋が多く残っており、昭和を満喫しました。 ソラマチをぶらついてから構内へ。 なんと改札前にムーミンカフェなるものが! 話のネタに入ろうと覗くと、当然ながら若い女の子でいっぱい。 おじさんが入れる店ではありませんでした。 ムーミンが椅子に座ってこちらを見ていました。 東武線に乗りさんぽは終了。 15543歩、360キロカロリー。 この程度で肉は落ちるのでしょうか? 明日は近所をぶらつきます。 箏曲家の野坂操壽先生が8/27に急性白血病でお亡くなりになりました。
先生との出会いは桐朋学園芸術短大でした。 勿論、有名な先生なのでテレビや演奏会などでお姿は存じておりました。 お箏は他の流派の先生に定期的に教えていただくことは難しい世界です。 それが可能なのは大学だからです。 ぼくは幸運なことに野坂先生のレッスンを受けさせていただけることになりました。 初めての時、教室でどきどきしながら先生を待っていました。 先生はにこにこと笑顔で入ってこられました。 曲は「みだれ」でしたが緊張で手がうまく回らず、曲名通りみだれにみだれた演奏になってしまいました。 先生はやさしく緊張を解きほぐしながら、丁寧に指導してくださいました。 レッスン後、先生の古曲が大好きなので古典を教えてくださいとお願いし、それから色々な曲を習いました。 特に「残月」が印象に残っています。 中間部の手事(歌なしの箏のみの部分)をぼくのために弾いてくださいました。 その音楽に圧倒され、震えるくらいに感動しました。 いつかあのような「残月」を弾いてみたいです。 卒業後もお目にかかるたびに、頑張ってますか?と親しく声をかけてくださいました。 先生と巡り会えたことは幸運でした。 先生には多くのことを教えていただきました。 それを糧に、これからも精進して参ります。 昨日カテドラル教会で告別式がありました。 先生の穏やかな表情の遺影を拝見して、最後のお別れなのだということを実感し、とてもさみしく涙がでてきました。 野坂先生、天国でゆっくりおやすみください。 今まで本当にありがとうございました。 ぼくの所属している沢井箏曲院が今年で創立40年になります。
沢井箏曲院とは、故沢井忠夫先生が創設した比較的新しい流派です。 流派と言っても一般の方はピンとこないかもしれませんが、奏法や曲の解釈など同じ楽曲を弾いても結構な違いが出てきます。 ぼくは初め別の流派の先生に習っていました。 事情があって一度お箏をやめたのですが、しばらくすると無性に弾きたくなって再開しました。 その時の先生が沢井箏曲院の方で、今までと音の出し方が全然違うのに驚きました。 また曲も現代的なものを中心に教えて下さったので、自分の感覚にとてもマッチして楽しくレッスンを継続することができました。 今年は北海道から九州まで各地の支部で記念演奏会が開催されており、関東支部は今月25日に紀尾井ホールにて行われます。 合奏曲が中心のプログラムで、ぼくは最後の曲「吟遊歌」に出演いたします。 練習は2月から行われ、時間をかけて仕上げています。 練習会では普段会えない人たちとお目にかかることができ、楽しくまた刺激にもなります。 前売りは完売ですが当日券が多少出るようです。 お時間がございましたらお出かけください。 先日結婚式に参列してきました。
新郎は柏の高校に勤務していた時の教え子です。 ぼくは1年生時の担任でした。 サッカーが好きで、根は真面目だけどユーモアがありみんなに好かれていた生徒でした。 ぼくは音楽しか教えていないので、書道を選択した彼とは朝と帰りのホームルームで顔を合わせるだけの関係でした。 2・3年生は違う先生のクラスでしたのであまり話すこともありませんでした。 ほかに2名ぼくに懐いてくれる男子生徒がおり、卒業して一緒にごはん食べに行く計画をたてました。 その日の数日前に1人が怪我をして来られなくなり、そのピンチヒッターとして彼が来てくれました。 そこから17年、ずっと関係は続いています。 彼は卒業して数か月後に銀座にある高級な老舗すし店に入り、修行を始めました。 初めの頃は手を傷だらけにしていました。 会うごとに、野菜を調理できるようになったとか、焼き物を手掛けられるようになったなど色々 話してくれました。 時が経ち、ようやく握れるようになったと聞いたときは我がことのように嬉しかったです。 今は彼の顧客がたくさんおり、海外にも出向いてすしを握っているようです。 一度だけ食べにい行ったことがあります。(高級なのでなかなか気軽にはいけないのです。泣) 白衣姿がかっこよく、イケメンな職人さんになっていました。 彼が握ってくれたのですが、味は勿論のこと高校時代を思い出して胸がいっぱいになりました。 その彼が美人で聡明な彼女と式を挙げました。 新婦さんは昨年12月のぼくのコンサートに来ていただいたので初対面ではなかったのですが ウェディングドレス姿だとまた感じが違い、一層きれいでした。 うらやましいカップルです。 銀座のフレンチレストランでの披露宴。 料理が最高にうまかった‼ 二人の心配りが嬉しかったです。 どういうわけか教え子2人と新郎を騎馬戦の騎馬に乗せる流れになり、何十年ぶりかで騎馬を組みました。 新郎がダイエットをしていたので何とかなりましたが、ちょっと腰にきました。 一番感動したのは、席票に「新郎恩師」ではなく「新郎友人」と書いてくれたこと。 ぼくはちょっと年の離れた友達だと思っていたので、同じように思ってくれていたことがとても嬉しかったです。 最高の気分で銀座の街を後にしました。 週末に久しぶりで同期と食事会をしました。
ぼくが公立高校の先生になったのが今から30年前。 当時先生の採用は少なく、音楽はぼくを含め3人でした。 初任者研修などで会ったり、同じ地区の学校に赴任していたため仲良くなりました。 3人ともやんちゃな生徒が多い高校に赴任し、結構鍛えられていました。 1年遅れて採用になった先生と4人、いまだに会ってごはんしています。 音楽の先生は基本各学校1人なので同じ職場になることはありません。 校内では一人教科で何もかも自己責任で行動しなければならず、それ故失敗も数多くしてきました。 そんな時気持ちを分かってくれるのが同期でした。 何度も話を聞いてもらい、救われました。 今会うとそんな昔の話や現在の学校の様子など面白い話が聞けて、楽しい時間を過ごすことができます。 ただ昔はしなかった体の不調や親の介護のことが話題に多く上がり、お互い年をとったなあと実感しました。 定年が延長されそうだということも聞きました。 この時だけは、ああ年取っていてよかったと心底思った次第です! 最近働き方改革で教師の労働時間の短縮が話題になっていますが、実際にはあまり変化は見られないようです。 先生方、体に気を付けてくださいね! 5月末から右手親指の付け根付近に痛みがありました。
普通は1日経てば治るのですが、今回は数日を経ても回復しません。 お箏は親指で大半の音を出すので、親指が使えないと弾くことができません。 痛みが残ったまま高校の授業でピアノを長時間弾いたのがトドメになったようで、今までに経験したことのない痛みに見舞われました。 知り合いの演奏家の方から、はじめにきちんと治すことが肝心というアドバイスをいただいたので、手の専門医の診察を受けることにしました。 手外科という言葉を初めて知りネットで検索、近所に専門医のいる整形外科があったので早速診ていただきました。 診断の結果は腱鞘炎と亜脱臼と軟骨のすり減りによる痛み。 ギプスで固定し、なるべく動かさないようにとのことでした。 意識したことがなかったのですが、日常生活の中で親指が使えないと何と不便極まりないことか! 慢性化するのは嫌なので、言いつけをよく守って生活しています。 普段は大して練習しないのに、弾けないとなるとお箏が恋しくてたまりません。 三味線は何とか弾ける状態なので、当分は三味線の練習に身を入れようと思っています。 8月25日に沢井箏曲院40周年記念コンサートがあるのでそれまでに完治するように頑張ります‼ 幼いころからほとんど音楽しか勉強してこなかったので、他の分野の知識が足りないと常々思っていました。
特に経済関係が苦手で、ニュースを見ていても、うすぼんりしか理解できません。 これではまずいと感じ何か方策をと探し、株を持てば興味がわき勉強するのでは考え、20年位前に購入しました。 短期の売買はしない、欲をかかない、をモットーに現在まで保有しています。 1年に1度株主総会なるものがあります。 平日の午前中にあるので常勤で働いていた時は参加できなかったのですが、今年時間が取れたので初めて出席してみました。 高輪の某有名なホテルの宴会場で200人位株主が集まり、今期の業績の説明や議案の採決が粛々と行われ、いくつかの質疑応答の後、終了しました。 テレビのニュースで見た総会屋が出てきて暴れたりもめたりするようなことはなく、なんだこんなものなのかというのが正直な印象でした。 強風にあおられながら品川の街を散策し、こじゃれたカフェでランチを取って帰宅しました。 演奏会のおしらせです。 6月2日(日)13:30から船橋市民文化ホールにて、船橋市三曲祭が開催されます。 ぼくも仲間の方たちと2曲出演いたします。 曲目は沢井比河流作曲「吟遊歌」と沢井忠夫作曲「螺鈿」です。 入場無料ですのでお時間がありましたら是非お越しください。 |